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私が開院した理由

本日の予約状況

治療家になろうと思った理由、それは…

院長:鳥井

会社員時代に過労とストレスで心身の不調に苦しみカイロプラクティックを受けて劇的に改善した経験から同じように悩んでいる方の健康をサポートし、元気を与えられるカイロプラクターという仕事に心惹かれたからです。

突然、体調に異変が…

私は学校を卒業して長らく会社員をしておりました。毎日忙しく、時期によってはここではいえないような
法を逸脱した労働のときもありましたが毎月、安定したお給料をいただいてましたし、自分だけじゃない日本の働き盛り世代は みんなそうなんだと特に疑問も持たず過ごしていました。そんな私が、40歳ぐらいあたりから身体に異変が現れました。
ちょうど仕事の環境が変わったころでした。

はじめは、そんなに気にすることもなく
「慣れない仕事のせいかな、すぐ治まるやろ」ぐらいに思ってました。それが、治まるどころか息苦しさで夜中に目が覚めるようになり
寝不足の日々が続きました。
それからさらに症状は悪化し、会議などで部屋に一定時間拘束されるような状況になるとたまらなくなりとにかく外に出たくなりました。
今でいうパニック障害です。ひとたび発作が起きると夜中でも寝室にいるのが苦しくなり、気を紛らわすために外に出て夜中に散歩したこともありました。

さすがにどこか悪いかもしれないと思い、病院に行ってあらゆる検査をしましたが特に異常はなく、薬を出されて様子をみてくださいとのこと。少しは安心しましたが、その状態はそれからも続きました。身体は異常はないのに不調は続く状態。
どうしていいのかわからずほんとにつらかったです。

カイロプラクティックとの出会い

それから自分なりにいろいろ調べました。調べるうちにこういう症状を「不定愁訴」ということ。
そしてそれはストレスが原因であるということ。カイロプラクティックや整体などが効果があることを知り、
藁をもすがる思いで、近くのカイロに通いはじめました。

定期的に施術を受けているうちに、劇的に良くなっていき、とにかく熟睡できるというのが一番うれしかったのをおぼえています。気が付けば、首や肩のこり、頭痛もかなり楽になってました。その先生のもとには宝塚の女優さんも通うほどのベテランの先生でしたがしっかり患者さんと向き合って治療しているのを目の当たりに見ているうちにその仕事にすごく興味を持ちました。

「これだけよくしてくれたカイロプラクティックを自分もやってみたい」そう思うまでに長くはかかりませんでした。それである時、先生にその想いを素直に伝えました。先生から帰ってきた答えはそんなに甘い仕事じゃないといわれました。それでもさらに想いを伝えました。

すると先生は「そこまでいうんならカイロプラクティックは技術だけでなく、身体の勉強もしないといけないので本気なら学校へ行きなさい」といわれ東京の大川カイロプラクティック専門学院をすすめられました。

大川カイロプラクティック代表の大川D.Cはアメリカのカイロプラクティック大学でD.Cを取得したカイロプラクティックドクターです。先生は大川D.Cと親交があり、どうせするんならここで勉強しなさいと言われました。

迷いに迷った挙句

正直迷いました。
関西の学校ならともかく、勧められたのは東京の学校です。でも先生に憧れて自分もやりたいと思ったわけですから。
しばらく悩んだ末、大川カイロに入学しようと決めました。

無事2010年10月に社会人を対象にしたクラスに入学しましたが
これからがたいへんです。当時はまだ会社員。会社は神戸で学校は東京です。心が折れないように、2年で学校を卒業して3年修業して
2015年に独立開業すると自分なりに目標を立てました。

二束の草鞋を履きながら

その目標に向かって月曜から金曜までは会社務めで
金曜の夜の夜行バスに乗って週末は東京に行きました。土曜はカプセルホテルに泊まって、日曜の夜行バスに乗り、月曜の早朝に着いてそのままスーツに着替えて会社に行きました。金曜の朝、家を出たら今度、家に帰るのは翌週月曜の夜。生活はごろっと変わりました。さすがに疲れた時は、新幹線で帰ってきた時もありました。

学校では、実技と座学があり授業が終わってもバスまでの時間まで、
許すかぎり練習をしました。平日の夜は家で、カリキュラムに従って解剖学や病理学などの座学講義をビデオで受け必死に勉強しました。その週の授業の初めに先週学んだ座学のテストが毎週あり、合格しないと追試があります。覚えることがとても多くたいへんだったのを思い出します。テスト前には会社の帰りに駅中にあるカフェで勉強するというのが日課になりました。さらに定期的に中間、期末とテストがあり、学生時代でも
こんなに勉強しなかったなというくらいしたのが懐かしいです。

ですが不思議とつらいとは思わなかったです。

都内で屈指の人気を誇る治療院にてインターン経験を積む

二年になってからは学校直営院でインターンをさせていただき臨床経験を積ませていただきました。東京都品川区で口コミ1位の治療院にて経験を積みました。

そんな生活が2年続き、2012年10月、晴れて学校を卒業しました。卒業後もインターンは続けさせてもらい、卒業後2013年11月には、会社を円満退社し、高い経験を積むべく単身上京しました。

喜んだり、落ち込んだりの修行時代

はじめて患者様を担当させてもらった時は、緊張しました。
カウンセリングもおどおどして、頭が真っ白になりました。そんな自分に、周りの院長やスタッフは快く練習相手や相談にのってくれたりしてとても感謝しております。

そんな中でも「ありがとう、楽になりました。」と笑顔でお礼を初めて言われた時にはとても嬉しかったです。喜んだり悩んだりいろいろありましたが
この道を選んで本当によかったと思います。

想いを胸に

患者様やいろんな人に支えられ三年の修業を終えて地元兵庫に戻り、
ここ東灘区にて昔の私と同じようにつらい思いをされてる人に
少しでも力になれたらという想いから開院することとなりました。

予期せぬ出来事

27歳の時に阪神大震災がありました。
当時の私の実家は全壊しました。幸い家族全員無事だったのですが少し痴呆症を患っていた祖母の痴呆症が悪化し24時間介護が必要な施設に入ることになりました。その後、両親は仮設住宅に入る予定でしたが、運良く市営住宅に入れることになりました。少し安心しましたがそれも長くは続きませんでした。

両親との別れ

私の両親は、病気一つしない元気な両親でしたが
震災2年後に父が突然倒れ救急車で運ばれました。そのまま入院し退院することもなく半年後に他界しました。その後、祖母も父の死を知らないまま亡くなりました。

父と祖母が他界し、しばらく母も旅行など楽しんだりしてましたがその4年後にガンが見つかり闘病の末、母も他界しました。いつも父に言えない事でも何でも母に相談し応援してくれた母です。
本当に悲しく私にとって大きなショックでした。

最後に

大きな出来事が人に与える影響は計り知れないものなんだなと感じるのと同時に現在では別の思いも湧き上がってきています。今の私であれば、両親を施術してあげて少しでも身体と心のケアをしてあげられたのに…。

その想いを忘れずに、一瞬一瞬を大事にしながら来院される皆さまにいま最高の施術ができるよう
日々精進したいと考えています。


院長:鳥井

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住所
神戸市東灘区森南町1-12-12 コンフォート2F
電話番号
078-413-3478
定休日
火曜日・第四日曜日
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